グリーンライン学校第1回~地域住民が運営する公共空間~発展途上のプレーパークから
2015/03/05
2012年4月22日
講師:羽根木プレーパーク世話人、NPO法人プレーパーク世田谷運営委員 斎藤何奈 首藤万千子
私たちは世田谷区のプレーパーク事業を受託しているNPO法人プレーパークせたがやの運営委員をしています。また33年前に開設された日本初の常設の冒険遊び場、羽根木プレーパークの世話人(運営する地域住民)でもあります。
<羽根木プレーパークができたころ>
プレーパークは「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーとした子どもの遊び場。禁止事項のある普通の公園とは違います。羽根木プレーパーク開設のきっかけは大村虔一さん、璋子さん夫妻が『都市の遊び場』(アレン卿夫人)という本に出会って翻訳し、その中に出てくるデンマークやイギリスの遊び場を実際に見に行って、帰ってきてPTAや幼稚園のお母さん仲間にスライドで紹介したこと。
1975年経堂で夏休みに開設、その後桜ヶ丘で15ヶ月連続開園しました。それは子どもたちの絶大な支持を得て、その実績が評価され、1979年に羽根木公園内に羽根木プレーパークができました。国際児童年記念事業でした。たくさんの専門家、行政も部局を超えてかかわっての遊び場の開設、当時、世田谷区は区長も公選制になり、市民参加を謳っていました。みんなが楽しみにしていたようです。
運営についてですが、最初は実行委員会形式。やりたい人がやっていた。当時の青少年地区委員会、PTAや町会の人が集まって、ふつうのお母さんたちが喧々囂々の議論をしていたようです。
今、実行委員会は世話人会になって、毎年25人前後の世話人が運営しています。その中から代表や担当を選んでいます。「今年も世話人やります」、という感じ。運営します、とは言ってない(笑)。月一回定例の世話人会、何か問題が起きた時は臨時で開きます。常駐のプレーリーダーは羽根木プレーパークには3人います。プレーリーダーは遊び場の要となる人たちです。
(組織図を見ながら)今は組織が複雑ですが、始まった当時は羽根木パークを運営する会しかなかった。運営は難しかったと聞いています。すごくやりたい人と、なにやるかわからないからいかなければという人がいたようですが、子どものために、という気持ちがあったのだと思います。
羽根木プレーパークの次に世田谷公園内世田谷プレーパークができました。こちらも昨年30周年を迎えました。世田谷は羽根木がとてもよかったので区が作りたいと、住民によびかけたのです。その後駒沢はらっぱプレーパーク、烏山プレーパークができました。そして、プレーリーダーを雇用するのに四つの世話人会を連絡する必要があって、連絡協議会ができました。限りなく横の組織であるということで組織図をお見せしました。
<運営は区と住民の協働で>
プレーパークは区と世話人と呼ばれる地域住民の「協働」で運営されています。所管は子ども部児童課ですが、公園緑地課の土木管理事務所と連絡を取り合っています。羽根木プレーパーク20周年あたりまでは区との連絡は年に一回の推進協議会が開かれていたくらい。(まだまだマイナーな存在だったので)自由に運営させてもらっていた、というところでしょうか。
法人になる前は世田谷ボランティア協会に委託されていました。やりとりの多くの部分は世田谷ボランティア協会としていたかもしれない。
初代プレーリーダー天野秀昭さんは、安定的な雇用のために世田谷ボランティア協会の非常勤職員という形で常駐のプレーリーダーになってもらいました。
2005年、NPO法人設立。区のほうからNPO設立はどうですかという話があって、勉強会などをして、設立に至りました。
2005年法人化のあとも年に一度プレーパーク推進協議会をして、公園課その他と四つのプレーパークが話し合いをしています。
特に去年はプレーパーク検討会が開かれ、児童課、公園課とプレーパークの区の中での位置づけを再検討しています。
また区とは事故や苦情対応、取材対応などについて頻繁に連絡を取り合っています。児童課、公園課の皆さんも、本当に粘り強く、また柔軟に問題に対応してくださっていると思います。緊急時の連絡網も毎年確認しながらつくります。今年は災害時のことも出てくるでしょう。行政や地域の人たちとも一緒に考えなければならないと思っています。
区だけでなく、地域で学校や児童館、保健福祉センターや図書館など公的な機関とできるだけ連絡を取り合って顔の見える関係を作ろうとしています。警察、消防などとも連絡をとりあっています。
ときどき、閉園時などに困ったことをされたりします。いろんなことが起こります。
公園の方としては否応なく、警察に通報ということになってしまう。でも、それは子どもがやったことか、大人がやったことなのか、思春期の子どもなのかで対応が違います。子どもがやったことは警察に通報してほしくないので、プレーリーダーに連絡がくるようにお願いして、何かあったら自分たちが走っていく。場合によっては警察と連絡をとることも大切にしています。
普段大事にしていることは、だれでもふらりと立ち寄れる場に、ということ。常駐のプレーリーダーの存在が鍵となります。一日二日でできることではない、毎日いるからこそ関係をはぐくんでいくことができる存在ということをプレーリーダーに伝えています。
世田谷区内のプレーパークには柵も門もありません。児童館では入るときに名前を書くことで保険をかけますが、プレーパークではそうしていません。子どもも大人もどこからでも自由に出入りします。ヨーロッパのプレーパークでは高い柵を巡らしていて、大人が入れないようにしています。そういうスタイルも一つのスタイルですが、誰でも入れて多様な人が交流をと考えると、それでいいとはいかない。では、柵ではない目印は?植え込み?など話し合いもしました。保険についてはプレーパークの施設に不備があってけがをしたときだけ保険がおりることになっています。
また直接入館料のようなお金はとっていません。直接的な受益者負担ではないので、人件費に充当するお金は足りていません。現在法人にはプレーリーダーが9人います。人数も必要なので、事業委託契約より多く雇っており、それもあって時給換算で最低賃金ではないでしょうか。またこの人件費では年数を経てプレーリーダーが専門性を増していくことはできません。でも専門性がどうしても必要なのです。対象が子どもなので受益者負担にはしないことにしていますが、利用者への寄付のお願いは常にしています。公園内では募金や販売はできないので工夫が必要なのですが。NPO法人の会員の会費も安定的な運営のために必要です。
プレーパークの会員になるメリットについては、鍋もただで貸すのであまりメリットはないです(笑)。最近思うのは、メリットがあるから会員になるのではなく、大事なものだから安定的に支援するという雰囲気が必要だということ。そういうものを作っていくことが大切だと思っています。
ずっとオープンな運営をしてきたのですが、他のゾーンとの区切りがわかるように柵を、という話も出ているなど、葛藤しています。
<道と公園の境はどうしているか?公共性について>
各プレーパークに違いがあります。羽根木・世田谷のプレーパークのように都市公園内にあるものと、駒沢はらっぱ・烏山プレーパークのように生け垣などで道と公園の境があるところがあります。駒沢では人間関係がとても濃くなります。それなりの味がでる。羽根木、世田谷はそれほどではない、子どもたちの遊びにもあらわれますよね。公園内の羽根木プレーパークほどではありませんが、駒沢はらっぱプレーパークもちょっとした工夫で地域に開かれた場となっています。近隣の人向けのイベント、学校や町会イベントとのつながりなど。
また、近隣の状況、社宅が多いとか、昔からの住宅街だとかそんなことによっても特徴が現れます。イギリスでも、移民の住民構成メンバーのみのプレーパークがでてきています。障害者のみのプレーパークとか、細分化される傾向があります。
<市民ならではの自由な運営について>
物的にも人的にも金銭的にも限られていない。やりたいことがあれば集めてきてやれば、できてしまう。それはいいことも悪いこともあると思います。世田谷まちづくりファンドで、乳幼児親子と多世代の交流拠点の「そらまめハウス」を建てましたが不足金が出た、などということも。
~はできません、~しないでください、を言うのは簡単だが、言わないで、どうやったらできるかを考えていこうとしています。これは市民ならでは。
ルールは最低限、団体でのかまどの使い方くらい、それ以外はほぼ一件一件のことです。またひとつのことを最初から最後までやりたい人がやる。いつでも誰でも参加できる仕組みがこれで保たれています。
子どもがやりたいことができる空間を実現するためには、大人がそうできる空間がなければならないと思います。公園法の範囲内でどこまでできそうもないことができるか、の挑戦。ただしAさんとBさんのやりたいことがぶつかることはあります。ぶつかるということはいいことで、そこから話し合いが始まり、どうやったらできるかを考えていきます。面倒くさいが、その面倒くさいことから生まれてくるものも。ルールを決めてしまえば運営するのは簡単。でも、それではこの場は生きてこない。メンバーが入れ替わりながらも続いているのは、面倒くさいことをやり、喧嘩もしながらやっていくこと。
人間関係では、公的な市民というのを学んだ気がします。ただの市民というのは誰でもそうだが、公の立場に立つ市民というのがどうあればいいのかということを学んだのかな。
プレーパークにいれば運営をするという責任を持つ。今日も運営委員としてきている。プレーパークも半公人。そこでやりとりするときは一人間としてやりとりをする。
イベントとかで音がうるさいという苦情があります。「そうですよね、うるさいですよね」という。本当にうるさいので携帯電話で音を下げるように言ったり。否定はしません。正当性も主張しません。
落し物、探し物で来た人には、ないときには「ないですね」とか「いっしょに探しましょうか」と。提供する人ではない、そうならないようにしています。同じ立場。
自転車の鍵がこわれたら、みんなで右往左往してよってたかって何かやる。
私たちは言えば何か対応してくれる、役に立つのかたたないのかわからないおばちゃんたちと思われているのかな。(笑)
わたしたちは一市民として誰とも同じ立場。行政の人とも違う、専門家とも違います。今、日本に足りていないのは公的な立場に立てる市民なのかもしれない、と思う。一緒に考えていこうというところに時間を費やす立場の人が結構少ないように思います。フラットでいようと言い聞かせています。どちらの言い分も中立的に聞いて、自分も一緒に考えていく人でいようと思っています。
そして考え続けること。無理に解決させようとしない。解決することはほぼないと思います。未解決の問題については話し続けることです。
<なぜこういうことを続けているのか、参画意識の維持、代替わりについて>
子どもを育てるのに似ています。子育ては面倒くさい。思い通りに何一つならないし、その環境のなかで育つのは子どもじゃなく親だったりします。いとわずやるのはそれに似ている。もちろん最初、こんなことになるとは思ってなかったですが。(笑)
そもそもは自分の子どもを連れていって、大きくなっても、ということです。
面倒くさいことが楽しい。面倒くさいのがいやなんだけど、解きやすいものを解くよりはおもしろい。それに、遊びの中で大風呂敷を広げたりするのが楽しいですね。
世話人の代替わりは大きな問題で、波があります。今は若いお母さんたちが、子どもが小さいうちから働きにいっていて、フルで動ける人は少ない、今後はいなくなっていくでしょう。少しの時間でもいいから、あなたがやりたいことを中心にそこで楽しくやろうというような声がけをよくやっています。楽しいから誘って、いろんなこと一緒にやって、トラブルに巻き込まれて考えざるを得ないことになります。その時点でお客さんではないですね。
<必要なものは、拠点、資金、お金を稼ぐシステムかなあ>
拠点は、リーダーハウス。(ほぼオフレコですが)あれ、遊具なんです。それがあるおかげで、面倒くさいやりとりができる場があるんです。民主主義には時間がかかる、そういう拠点が必要です。
安定的な運営に行政は欠かせません。そうしてきた世田谷区は素晴らしいのですが、今後はさまざまな挑戦をと思っています。
昨年から持続可能な組織になるには、という見直しをしていて、これから会員を増やすことをミッションとしてやろうとしています。企業のお金もいただいていかなくては仕方ないのではないかと思います。メディア戦略も必要。とにかくつながりをつくっていきたいです。プロの人に参画してもらうのも必要。
<4つのプレーパークを一つの組織で運営するのは大変?>
プレーパークは現場のことはすべて現場が決定権をもって運営しています。それが大事。でも決めることが多くて、会議が10時から10時ということもあります。(笑) 昨年度より一つのNPOが現場の地域のボランティアと協働してどうやっていけるか、どこからどこまでをどこで決定するかということを考え始めている。考え始めたら大変なことになったので、やりたいことは現場でやる。面倒なことはNPOに移す。それをまた差し戻すこともある、という大胆な流れになりましたー。(笑)
<グリーンラインでやりたいこと>
「グリーンライン下北沢」が募集した「グループ提案」の中で、私たちプレーパークの仲間が提案した下北沢についてのイメージ「敷居がない・変わり続ける」は、プレーパークと似ています。
そのグループ提案で、「こんなことやりたいな」と提案したのは、プレーパークですでにやっていたり、これから実現したいなと思っているようなことでした。……つかの間だけあるお店とか、赤ちゃん連れでもいつでも来られる場所だとか、中高生の居場所だとか。プレーパークのような場所そのものをつくりたいというのとは、また違います。これから考えていくさまざまな提案のなかで、できるところだけでも、子どもたちにとって魅力的な場所になるといいと思います。
宣伝ですが(笑)「地域ですごす思春期」という冊子。昨年度作りました。理想の「まち」の図を作ったのですが、モデルは下北沢周辺です。ちょっと怪しげな人もいる、こういう場所があるというのが大事だと思います。
<会場から>
●子どもを羽根木で育てた。どれくらいの人が使うかによって雰囲気も変わってくる。羽根木はかなり開かれている。それが過激でおもしろい。本当にパブリックな場を作るにはそれが野放しでいいのかという気はするが、穴を掘ったり自由にできない管理社会ではないところに感激した。四つのプレーパークが違うことがおもしろい。ユーザーが違う?その点、ユーザーと管理の問題でグリーンラインをこれからやっていくときにも大切ではないか。
●子ども時代にプレーパークのような場所でのびのびと遊ぶ経験は貴重で、すばらしいと思っている。一緒に考えていくことに時間を費やすという公的な市民という表現、同じ立場で考えると言うことが新鮮だった。行政だと管理しないといけない、税金で働かせてもらってるからあくまでもサービス提供側にならないといけない意識が出てくる。行政側としては寄付税制の仕組みがもっと充実したら、とも思う。
●宮本常一さんの『忘れられた日本人』という本。昔の村では問題をずっと時間をかけて話し合うという場所があった。今、下北沢で集まってくれる人がどれくらいいるか。世の中がうまくいっていないのは公的な市民がいないから、でもプレーパークは希望の光だとおもった。
●いやになってやめちゃう、継続しない、なかなか広がっていかない活動がある。楽しさを維持しつつというところがまちづくりでも取り入れられないかなあと思う。熱意がどこからくるのか。若い親は仕事が忙しく、お金の寄付はできるけど、という人も。欧米ではビジネスにしていってる。日本の公的市民とかもどうしていくのかな、という感想。
●どうしようかなと思っているときに「そらまめハウス」に出会った。妻はフィリピンに行ったときの村がこんな感じだったという。それでファンになってしまった。運営についても興味をもっていた。
柵の話。大変だと思ったが、柵がないので羽根木には行きやすい。お金の話。みなさんお金の話をするのが苦手なのか、通っている側としては支援をもっとしたいと思う。
●最初にグリーンラインの大まかな説明がほしかった。あるのかと思っていた。昨日やったイベントの場所がなくなってしまうので参考になる話を聞きたかった。
●グリーンラインの掲示板に「みんなで」ということが書いてあった。赤ちゃん、中高生も高齢者もいる。そこの場所に関わる人がだれでも、ということで公共性ということを考えていければと思った。
●公共とは何なのかということを考え直したい。また受益者負担も、お金がかかるんだということをわかってもらうのも大事。プレーパークで育った子どもたちがこうなるということをもっと見えるようにすれば、親もお金を払うんじゃないか。塾とかだとお金を出す。その流れが見えれば価値を見いだせるんじゃないか。
●日本にもいい田舎の村はある。年寄りは聞き手に徹するといい若者が育つ。これからも協力したいと思っている。
●まちづくりコンサルタント。プレーパークは学生の時に冒険遊び場の本を読んで感激し、子どもを遊ばせることができたときに感激した。自分のことに責任を持つ。責任を持つ中では自由に、という考え方を普及させたい。学校にも持ち込めるムーブメントではないか。
●プレーパークのいいところは、見ず知らずの人が来たときに、大人も学習してしまうところ。オープンスペースはたくさんあるが、ただのスペースが多い。プレーパークには人間の行動があって、何かが起こり、人生がある。そういういうところが持続していることがすごいと再認識した。運営や管理という言葉は合わないだろうけど興味がある。グリーンラインもそういう場が作れるかどうかが大きな分かれ道だ。
●子どもをよく羽根木につれていった。あの一角だけは異様な雰囲気。
●グリーンラインを都市公園にしたほうがいいと思うが、公園化してしまうと不便な面もあるかもしれない。認定NPOとしていくことが必要で、そうでないとお金が続かないと思う。
●自己責任。アメリカなら入り口でサインすれば済むが、日本では行政の責任とかいわれそう。
●協力者を引き入れるなど、興味深い話だった。子どもというのも人間関係をつくるのに必要なのかと思った。グリーンラインの場所に、それがあれば、場所が人を巻き込んでいく力を持つのではないかと思っている。
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